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聖マルガリタ・マリア・アラコクおとめ  St. Margarita Maria Alacoque V.  記念日 10月 16日


 人にはそれぞれ天主から与えられた使命がある。殊に聖人聖女の使命は重大な意義をもっているものが多い。しかし身分の貴い人には大なる使命が託せられ、身分の賤しい人には小なる使命が委ねられるとは限っていない。却って「智者を辱めんとて天主は世の愚かなる所を召し給い、強き所を辱めんとて天主は世の弱き所を召し給う」という聖パウロの如く、世間から蔑ろにされているような人が、大使命を受けてかくかくたる功績をたてることも少なくない。例えばイエズスの聖心の信心の提唱者で聖女の列に加えられたマルガリタ・マリア・アラコクなども、今こそカトリック界には誰一人知らぬ者もないが、その昔は全く世に隠れた一介の修道女に過ぎなかったのを、主が選び給うてあの重責を負わせられたのであった。
 このマルガリタは1647年フランスのブルゴーニュ州ロトクール城に住むアラコク家の娘と生まれた。父は公証人であったが彼女の誕生後幾許もなく世を去ったから、4人の子女を擁する母は、次第に財産を失い生活が苦しくなり、マルガリタをシャロルのクララ会修女達に託して教育を施して貰うこととした。かくて彼女はその修道院で二年間を幸福に暮らしたが之も天主の思し召しか、それから身体の利かぬ病に罹り、母の膝下に引き取られ、四年も寝たままで暮らさねばならなかった。医師の見立てでは快復の見込みがないという。で、本人はもとより親兄弟も、今は「病人の快復」と呼ばれる聖母マリアの外に頼む所がないと、「もしマルガリタが全快しましたら、必ず修道女にして主に献げましょう」という誓いを立てて本復の祈願を込めた。すると不思議や流石の難病も薄紙を剥ぐように治ったが、「咽喉元過ぐれば熱さを忘る」という諺の通り、そうなるとまたマルガリタは浮き世の快楽に心を引かれ、先の誓いもなかなか果たそうとはしなかった。けれども別に禁断の快楽をまで求めて罪に陥ったという訳ではない。それに彼女は祈祷を好む事も甚だしく、時々は御聖体の主の籠もり在す御聖櫃の尊前に跪いて一時間の余りも聖い会話に耽ることがあったという。
 兎角するうちに家は益々貧窮し、その日の生計にも困るほどになったから、マルガリタは折々隣近所を訪ねて食物を貰い、少しでも母を助けようとした。労働服一枚しかなくて、借り着をして日曜の御ミサに行ったのもその頃の事である。
 ところがようやく年頃になったマルガリタには、幾つかの縁談が持ちかけられて来た。その中には一家の困窮を救うに足る資産を持つ相手もあったので、親兄弟は「先の誓願は無効だ」とか「あの誓願も解く事が出来る」とか言って、頻りに彼女に結婚をすすめる。しかし彼女はやはり主を懼れ誓いを破るまいとする心が強く、とうとう一切の縁談を断ってしまい、間もなく1671年5月25日、24歳でサレジオ会の女子修道院に入ったのである。
 修道女になってからのマルガリタは、主イエズス・キリストをわが神秘的配偶者と仰ぎ、主の御事のみを考え、何から何までその聖旨に叶うようにと懸命の力を尽くした。されば聖主も直接彼女に御導きを賜い、殊に聖心に対する信心をマルガリタによって広めようとの思し召しから、ある時祈祷に耽っている彼女に御出現になり、周囲に茨を廻らし、上に十字架を戴く愛の焔に燃え立つ御心臓を示し、「見よ、人を愛する為に数多の苦痛を忍んだわが心を。我はそれに対して感謝をこそ受くべきに、報いられるのはただ冷淡と忘恩とばかりである」と仰せられて、その償いを命じ給うた。そしてその方法として、聖心の特別な祝日を定めること、月の最初の金曜日に御聖体を拝領すること、毎木曜日の晩に聖時間を守ること、信者の家庭を聖心に献げることなどを、その後もしばしば御出現になってマルガリタに啓示し給うたのである。
 マルガリタは主の御出現とその御啓示の一切を長上の人々に打ち明けた。しかし彼等はなかなかその言葉を信じないばかりか、種々の試練調査を試みた。かくて最初に彼女を信ずるに至ったのは同修道院の特別聴罪司祭なるクラウヂオ・ド・ラ・コロンビエール師であった。
 その間にマルガリタは修練長を命ぜられたのを幸い、若い修練女達と共に主の聖心を熱愛し、それに対して定められた信心を守ることに努めた。聖心の信心は勿論当時にあっては新しい勤めであったので、聖会によりいろいろ調査研究されたがその結果マルガリタの主に示された事は、ことごとく正しいものと認められた。そして彼女の修道院で、1688年7月2日その日も同修道院保護者なる聖マリアの祝日に、始めて主の御望み通りの信心が行われた時の、彼女の喜びはどれほどであったろう!
 マルガリタはわが使命の成就に安堵した為か、それから間もなく病気に罹り。1690年10月17日、43歳を一期として主の報酬を得べく天国に旅立った。その死後彼女の提唱したイエズスの聖心の信心は燎原の火のような勢いを以て全世界に広まり、その墳墓があるパレー・ル・モニアルの聖堂には、年毎に雲霞のような巡礼者が参集し、ついに1920年5月13日、彼女は教皇ベネディクト15世により列聖の光栄をになったのである。

教訓

 聖女マルガリタ・マリア・アラコクが主に示されて教えた「イエズスの聖心に対する信心」により、今までどれほどの人々が恵みを得たか、今もどれほどの人々が恵みを得ているか知れない。しかし本人の彼女はその燦然たる結果を知らず却ってその信心を言い出したが為に、様々の疑惑をかけられ名状し難い苦痛を嘗めてこの世を去った。それが彼女に託された使命であったのである。我等も自己の使命の達成に当たり、苦痛に逢う事があれば、彼女の生涯を思い出して鑑としよう。